次は、ジュリーニ最後の来日公演のことから。大学に入学したばかりのとき、友達と二人で行きました。1982年5月21日金曜日午後7時から大阪のフェスティバルホールでの公演です。C席で8千円でした。ジュリーニは1914年生まれですから当時68歳。1978年にロス・フィルの音楽監督に就任し、この頃から日本でも急速に人気が上昇していたようです。たしか、シカゴ響とのマーラーの交響曲第9番の録音が、レコード・アカデミー賞を獲得したのではなかったかと思います。プログラムは次のとおりです。
チャイコフスキー 悲愴交響曲
ベートーヴェン 運命交響曲
通俗名曲2曲の組み合わせで、当時はプログラムがいまいちだなと思いました。でも、今パンフレットを読んでみると、この頃のジュリーニは、運命交響曲を十何年ぶりかで取り上げ、熱心に研究していたらしいです。
演奏については、おぼろげな記憶ですが、弦の響きが美しかったことを覚えています。
あと、ジュリーニは、肩幅くらいに足を開いていて、身振りも大きかったような気がします。アンコールがあったかどうか、今思い出せません。
演奏会終了後、ホールの近くのホテルか何かでレセプションがあったらしく、ロビーに楽団員が集まっていました。その会場へ紛れ込んで、楽団員の何人かにサインをもらいました。残念ながらジュリーニの姿は見当たりませんでした。ただ、なぜか、コメディアンの植木等さんが、緑色のタキシード姿で壁にもたれて立っていて、非常に恰好よかったのを覚えています。